思考を超えると奇跡的な出会いがやってくる

私には保育園に通う子供が二人いるのですが(5歳息子3歳娘)、コロナのために保育園に通うことが実質的にできなくなり(医師や警察消防など社会インフラに従事する世帯以外は自宅保育要請となり、世の中に協力するため自宅で見ることにしました)、4月5月とほぼ2か月間毎日子供たちと一緒に過ごしました。

仕事は家でやっているので、家事や子供の相手はできるだけ分担していました。

 

 

そしてその中で感じていたのが「子供がいてくれて良かったなあ」というのと、「子供がいるからとても疲れる、しんどい」という2つの相反する感情でした。

ただ、これらの感情を遠くから見ている「もう1つの感覚」がありまして…

それが、「なんか分からないけど、全体で見るとじんわりした気持ちで、悪くない」という感覚でした。

 

 

私は子育ての新米ですが、結局、子供を持って一緒に暮らしていくっていうのは、こういうことだと思うのです。

目の前は大変だったりイライラも消耗もある。けれどそれを、何か遠くから引いてみるような自分自身が静かに喜んでいる、というような。

 

参考記事:

 

少子化が叫ばれて久しいですが、私の周りのご夫婦でも、頭の中で、思考レベルで損得を考えて「子供はいりません」と決めてしまっている人がわりといて、個人的には少しモヤモヤした気持ちになります。

もちろん子供を持つ持たないはその人の自由ですし、欲しくてもできないとか、いろんな事情があると思いますから、絶対子供を持つべきだとか、そんなことを言うつもりはありません。

ただ、この世界には、損得勘定や合理性といった基準では測りきれない価値と言うのがあるのも、また事実だと思うのです。

人生にはロジックだけじゃない不確実な要素が、子育て以外にもあるような気がします。

だからこそ、アタマで考えるだけじゃない、思考を超えた判断基準と言うものを、少しでも感じ取ると、毎日がきっと変わってきます。

思考だけに凝り固まらず、新しい感覚と基準を自分なりに感じてみる。

するとそれだけで、現実の変化が起こってきたりもします。

時々、「第三の基準」はなんだろうか?と思いを馳せてみる。

それだけでも、新しい幸福感に近づくことができるでしょう。

 

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